神戸地方裁判所 昭和46年(行ウ)16号 判決 1978年2月28日
原告 田中章
被告 国
訴訟代理人 服部勝彦 渡辺春雄 浅田安治 ほか一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告は原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する昭和四六年六月一〇日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
右第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
仮に被告に対する仮執行宣言付給付判決がなされるときは、担保を条件とする執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)は、亡田中茂の所有であつたが、同人が昭和二〇年五月一四日死亡したので、その長男である原告が家督相続により右土地所有権を承継取得した。
2 兵庫県豊岡市農地委員会(以下市農地委という。)は、自作農創設特別措置法(昭和二一年法律第四三号、以下自創法という。)三条に基づき、買収期日を別紙目録第一記載の土地(以下第一土地という。)については昭和二二年三月三一日、同目録第二記載の土地(以下第二土地という。)については同年七月二日と定めて、所有者を田中茂の妻田中静として買収計画(以下本件買収計画という。)を樹立し、兵庫県知事(以下県知事という。)はこれに基づいて本件土地の買収処分(以下本件買収処分といい、本件買収計画と併せて本件計画・処分という。)をした。
続いて県知事は、昭和二五年二月二八日、自創法に基づき友田みつに対し本件土地を売渡す処分(以下本件売渡処分という。)をしたため、右同人は、同日過失なくして本件土地の占有を開始した。
3 ところで、本件計画・処分は、本件土地の所有者である原告を相手方としなかつた点で重大なかしがあるが、原告は、既に昭和二〇年五月二九日に家督相続の届出をしていたから、右かしは明白である。
また、本件計画・処分は、買収の相手方田中静の住所を神戸市灘区備後町二丁目四三番地としており、その買収令書も同所に宛て発送されたが、当時同人は芦屋市奥山一番地で原告と同居中のため送達されず、原告はもち論同人すら本件計画・処分の存在自体知らなかつたし、また、同人は、恩給扶助料受領の必要上寄留先を区役所に届出ており、市農地委及び県知事は、右発送先に同人が居住していないことを熟知していたから、この点でも本件計画・処分には重大かつ明白なかしがある。
よつて、本件計画・処分及びこれに引続いてなされた本件売渡処分は、当然無効である。
4 市農地委及び県知事は、本件土地の所有者が原告であつて田中静ではないこと及び同人が前記場所に居住しないことを知りながら、又は過失によつて知らないで、本件計画・処分をしたものである。
5 また、前記のとおりの事情の下では、県知事及び市農地委は、速かに本件計画・処分を取消すべきである。
更に、原告は、昭和二八年一〇月一九日、昭和二四年法律第二一五号により市農地委から改められた兵庫県豊岡市農業委員会(以下市農業委という。)に対し、本件買収計画等において田中茂の相続人を田中静とした理由を明らかにするよう申出た(この点について先になした、本件買収処分は所有者を誤認したものである旨申出たとの主張は撤回する。)。
このような場合には、県知事及び市農業委は、当然事情を調査し本件買収処分の取消手続をすべきであるのに、故意又は過失によりこれをしなかつた。
この点について、被告は、後記二5のとおり県知事は本件買収処分を取消したうえ第二次買収処分をした旨主張するが、本件計画・処分の取消につき相手方にも原告にも通知がないから、右各取消は行政行為として不存在ないし無効である。
6 以上のとおりの県知事、市農地委及び市農業委の故意、過失による違法行為の結果、前記のとおり友田みつは過失なくして本件土地の占有を取得し、その後一〇年間これを継続したので、昭和三五年三月一日の時効期間満了によりその所有権を取得し、昭和四四年初めごろ原告にその旨主張して時効を援用したため、原告は本件土地の所有権を喪失した。
この点について、被告は、後記二6のとおり、原告は第二次買収処分により本件土地の所有権を喪失したものであつて、友田みつの時効取得により喪失したものではない旨主張するが、第二次買収処分に先行する本件買収処分の取消が前記5のとおり無効であるから、原告を相手方とする第二次買収処分は、買収の相手方を誤認した法律上不能の処分となり、それ故に無効といわねばならない。
また、原告は、前記のとおりの県知事らの違法行為の結果、本件買収処分後本件土地の使用収益をすることができなかつた。
7 以上の公務員の違法行為により原告が受けた損害は、次のとおりである。
(一) 逸失利益 金一八万二四四六円
原告が昭和二三年から昭和三五年まで本件土地を使用収益できなかつたことによる賃料相当の損害額は、別紙一覧表記載のとおり、本件土地から収穫した米の政府買上代金額の二分の一に相当する合計金一八万二四四六円である。
(二) 本件土地の価額相当額 金一三三七万円
原告が昭和三五年友田みつの時効取得により受けた損害額は、右時効完成時における本件土地の価格に相当する(最高裁昭和五〇年三月二八日第三小法廷判決・民集二九巻三号二五一頁参照)金一三三七万円(一平方メートル当り金一万円)である。
(三) 逸失利益の仮定的主張額 金一六万二九四一円
仮に原告の本件土地所有権の喪失原因が友田みつの時効取得ではなく後記二6のとおりの第二次買収処分にあるとすれば、原告は、本件買収処分及びその取消をしなかつたことにより昭和二三年から右第二次買収処分までの間本件土地の使用収益ができなかつたことになるから、そのうち前記(一)で主張した額を除く昭和三六年から昭和四一年末までの賃料相当の損害金は、別紙一覧表記載のとおり合計金一六万二九四一円となる。
(四) 慰籍料 金二〇〇万円
原告は、本件計画・処分の違法性を主張し終始その取消を求めてきたのに、被告はこれに応じなかつたため、遂に本訴に至つたが、その結果原告が受けた精神的苦痛に対する慰籍料は、金二〇〇万円が相当である。
なお、被告は、右(一)ないし(三)の損害について、本件土地は、結局農地として買収されるべき運命にあつたのであるから、国家賠償法上の損害にはあたらないとか、県知事らの違法行為との間に因果関係がないと主張する。
しかしながら、正当に原告を相手方として買収がされておれば、原告に対してその売渡の対価が支払われる筈である。しかし、右対価は田中静に宛て供託されている。したがつて原告は、何ら対価の支払を受けていない故、違法に買収されたことによる対価及び使用料相当の損害の賠償を求めうる地位にあることは理の当然である。被告は、真実の所有者である原告を被買収者とすべきであつたのにそうしなかつたのであるから、もし原告を被買収者としておれば原告に損害がなかつたことを理由に、原告に対する損害賠償の支払を拒むことはできない。被告は、正当に原告を被買収者として買収をし、原告に対し対価を支払うべきであつたのに、この挙に出なかつたのであるから、それにより現実に原告が蒙つた損害がある限り、その賠償を免れ得ないことは当然である。このことは、田中静が同居の親族としても別異に解すべき理由がない。
8 県知事、市農地委及び市農業委を構成する公務員は、自創法により政府がすべき買収、売渡に関する行政行為及びその取消につき、被告から法令による委任を受けているから、被告の公権力の行使に当る公務員である。
よつて原告は被告に対し、前記7の損害のうち金一五〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四六年六月一〇日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は、友田みつの占有開始の点は知らないが、その余は認める。
3 同3の事実は、本件計画・処分が原告を相手方としてなされなかつたこと、右処分当時原告が芦屋市奥山一番地に住所を有していたことは認めるが、その余は否認する。
4 同4の事実は否認する。
5 同5の事実は否認する。
本件買収処分は所有者を誤認してなされたものであるから、第一土地については、市農業委は、昭和二九年七月一日、買収計画取消を議決し、同月一〇日、農業委員会法四九条に基づき県知事に対し右買収計画が取消を要すべき処分であることの確認を申請し、同月一九日、県知事は右確認をしたものであり、第二土地については、市農業委は、昭和三八年一〇月二四日、買収計画取消を議決し、同月三一日、農業委員会等に関する法律三三条に基づき県知事に対し右買収計画が取消を要すべき処分であることの確認を申請し、同年一二月二三日、県知事は右確認をしたものである。
以上により、本件買収計画が取消すべき処分であることが法定の手続により確認されたので、県知事は、右各確認の日に本件買収処分を取消している。もつとも本件買収処分はもともと当然無効なのであるから、法的効力の遡及的失効という本来の意味の取消ではなく、無効宣言の意味での取消にすぎない。
6 同6の事実中、友田みつが本件土地を占有していたとの点は知らないし、その余は否認する。
特に、原告は友田みつの時効取得により本件土地の所有権を喪失したと主張するけれども、県知事は、本件買収処分を前記5のとおり取消した後、本件土地が農地法六条一項一号に定める「その所有者(原告)の住所のある市町村の区域外にある小作地」に当るので、昭和四一年二月二三日、同法八条の規定により公示及び通知を行い、昭和四二年三月一日付をもつて同法九条の規定により原告を相手方として本件土地の買収処分(以下第二次買収処分という。)をしたから、これによつて原告は本件土地の所有権を喪失したものである。
7 同7の事実は否認する。
仮に本件買収処分が相手方を田中静とした点で当然無効であり、右処分の結果友田みつの時効取得により原告が本件土地の所有権を失い、或いは原告が右処分後本件土地を使用収益できなかつたとしても、原告が損害を受けたとはいえない。というのは、本件買収処分は自創法三条一項一号の規定により不在地主の所有小作地としてなされたものであり、その当時原告は芦屋市奥山一番地で田中静と同居する不在地主であつたから、正しく原告を所有者と認定していたならば当然本件土地は適法有効に買収され、原告は本件買収処分時に本件土地の所有権と使用収益権を喪失した筈である。したがつて、本件買収処分が原告を相手方としてなされなかつたとしても、原告が失うべき利益は何もなく、よつて原告が受けた損害も何もないのである。またそうであるから、原告主張の違法行為がなかつたならば却つて本件土地の所有権と使用収益権は原告から奪取されるのである。したがつて原告主張の違法行為と所有権喪失及び使用収益逸失との間には因果関係がない。更に、原告主張の逸失利益は、被告公務員が所有者を誤認したため買収が遅延したことを奇貨とする利益であり、このような公務員の過失によつて生じるべき利益の如きものは、一見逸失利益の外観を呈することがあつても、国家賠償法によつて保護されるべき利益ではない。
8 同8の主張のうち、県知事から被告の公権力の行使に当る公務員であるとの点は認めるが、その余は争う。
三 抗弁
1 仮に原告主張の損害賠償請求権が発生したとしても、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間の始期である不法行為の時(民法七二四条後段)とは、本件においては本件買収処分が行われた昭和二二年三月三一日及び同年七月二日をいうものと解されるが、それから昭和四六年六月一日の本訴提起までに二〇年の除斥期間が経過している。
原告は、違法な本件買収処分を取消さないことが即ち不作為による違法行為であつて、友田みつの時効取得ないしは第二次買収処分の時まで不法行為は終了せず除斥期間の進行も開始しない旨主張するが、原告の主張によれば本件買収処分は当然無効であるから、取消の余地はなく、したがつてこれを取消さなかつた不作為などというものはない。また、友田みつの取得時効完成という結果に対する原因は、本件買収処分及びこれに基づく本件売渡処分と、原告が右買収売渡処分の当然無効にもかかわらず友田みつに対し取得時効中断の措置をとらなかつた不作為にあり、県知事が右各処分を取消さなかつたことにはないのであるから、原告主張の不作為をもつて不法行為ということはできない。
2 仮に右主張が理由がないとしても、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効期間についての損害を知つた時(民法七二四条前段)とは、損害を伴うことを常態とする違法行為がなされたことを知つた時との意味に解される(福岡地裁昭和四六年一月二九日判決・判例時報六三四号七三頁、東京高裁昭和三三年一〇月二一日判決・判例時報一七一号一四頁参照)ところ、原告は、昭和二八年ごろ田中静を相手方として本件買収処分がなされたことを知り、同年一〇月一九日市農業委に本件買収処分が所有者を誤認してなされたものである旨申出ているから、これらの時に本件買収処分が相手方誤認の違法な処分であることを知つたものであり、この処分が原告に損害を及ぼすべき性質のものであることもまた何人の目にも明らかである。仮に誤認買収の結果として被売渡人の取得時効が完成することは常態とはいえないとしても、原告は、本件買収処分を知ると同時に、本件買収処分と同じ日付でなされた友田みつへの本件売渡処分、更には同人の本件土地取得時効完成の日をも了知した筈であるから、その時既に後日における右時効完成により本件土地所有権喪失による損害が発生すること及び加害者を知つたものである。したがつて、原告の本件土地所有権喪失による損害賠償請求権の消滅時効期間の始期は、前記の原告が田中静を相手方とする本件買収処分の存在を知つた時である。仮にそうではないとしても、現実に損害が発生した時、即ち前記の本件土地取得時効が完成した時である。仮にそうではないとしても、原告が友田みつから右取得時効を援用された昭和四二年二月ごろである。そしてそのいずれによつても、本訴提起までに三年を経過しているから、被告は前記損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。
3 また、仮に原告主張のとおり本件買収処分時から友田みつの取得時効完成までの間の賃料相当の損害賠償請求権が発生したとしても、右取得時効が完成した昭和三五年二月二八日には、原告は、前記のとおり友田みつの本件土地占有及び右占有が違法な本件買収処分を縁由とする事実を了知していたから、右同日直ちに本件土地の使用収益の逸失という損害の発生及びその加害者を知つたものであり、右同日後本訴提起までに三年を経過しているので、被告は前記損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。
4 更に、仮に原告主張のとおり友田みつの本件土地取得時効完成後第二次買収処分までの賃料相当の損害賠償請求権が発生したとしても、前記3と同様に、第二次買収処分がなされた昭和四二年三月一日には本件土地の使用収益の逸失という損害の発生及び加害者を知つたものであり、右同日後本訴提起までに三年を経過しているので、被告は前記損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の主張のうち、除斥期間の始期は本件買収処分時であるとの点は争う。前記一5のとおり、被告公務員が本件計画・処分を取消さなかつた不作為もその違法行為であるから、その結果生じた損害の賠償請求権の除斥期間の始期は、右不作為が終了した時、即ち友田みつの取得時効完成時ないしは第二次買収処分時というべきである。
2 同2の事実中、原告が昭和二八年一〇月一九日市農業委に対し誤認買収であるとの申出をしたとの点は否認する(原告が先になした、右申出をしたとの主張は前記のとおり撤回する。)。原告は、田中茂の相続人を田中静と認定した理由を明らかにされたいと申出ただけで、田中静を相手方としたことのために本件買収処分が当然無効となることには思いも及ばなかつた。県知事は、その後秘かに本件買収処分取消の登記をしたが、原告は当時右取消の登記が本件買収処分の当然無効の故になされたことは知らなかつたのである。
原告が本件違法行為による損害及び加害者を知つたのは、昭和四四年五月初めごろである。即ち、原告は、本件土地につき前記のとおり買収取消の登記がなされた事を知つて、とりあえず昭和三九年四月二二日家督相続を原因とする所有権移転登記手続を行い、自己の所有に返還を受けたものと考えていた。ところが、昭和四二年三月一日第二次買収処分を受け、本件土地は再び友田みつに売渡されることになつた。そこで原告は、昭和四四年初めごろ、前記相続登記後第二次買収処分まで本件土地を占有していた友田みつに対しその間の小作料相当の損害賠償を求めたところ、友田みつは右請求を拒否し、既に昭和三五年三月一日同人の取得時効が完成しているから前記期間の占有は所有権に基づく正当なものとなつている旨主張した。これを聞いた原告は、昭和四四年五月初めごろ、弁護士に意見を聞いて始めて本件買収処分が当然無効であり、友田みつの前記主張が正当であることを知つたのである。
民法七二四条前段の規定にいう損害を知つた時とは、加害の違法性と損害の発生とを知つた時のことであるが、特定の行政処分の違法性を知ることは通常の社会人には甚だ困難であり、まして取消しうべき違法に止まるのか当然無効を招来する違法であるのかの区別を知ることは、法律専門家でも困難である。したがつて、原告が然るべき専門家の助言を得て処分の効力についての正当な認識を得た時をもつて、消滅時効期間進行の始期とすべきである。
3 同3の事実中、友田みつの取得時効完成当時、原告が本件土地の使用収益の逸失という損害の発生及びその加害者を知つていたとの点は否認する。
4 同4の事実中、第二次買収処分当時、原告が本件土地の使用収益の逸失という損害の発生及びその加害者を知つていたとの点は否認する。
五 時機に遅れた防禦方法の却下を求める原告の抗弁
被告の短期消滅時効の抗弁は、本訴提起後四年有余を経て初めて主張されたもので、被告の故意又は重大な過失により時機に遅れて提出した防禦方法であり、これにより友田みつの時効援用の時期、原告の損害を知つた時の立証を要することになり訴訟の完結を遅延させるべきものであるから却下を求める。
第三証拠<省略>
理由
一 請求の原因1の事実、同2の事実中、所有者を田中静として本件計画・処分がなされ、次いで本件売渡処分がなされたこと、田中静が田中茂の妻であることは当事者間に争いがない。
してみると、本件買収処分は所有者でない者を相手方とした点で重大なかしがある。そして、<証拠省略>によれば、原告は、昭和二〇年五月二九日、家督相続の届出を本籍地の兵庫県城崎郡奈佐村の役場にして受け付けられたこと、本件計画・処分当時、原告の戸籍にはその死亡、失綜宣告などの記載が全くないことが認められる。してみると、例え本件土地の登記簿に田中茂と記載されていたとしても、前記戸籍簿の記載と照合すれば本件土地の所有者が原告であることは明白であるから、前記のかしは明白であり、したがつて本件買収処分は当然無効であるといわなければならない。
また、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、本件計画・処分においては、相手方田中静の住所を神戸市灘区備後町二丁目四三番地とし、その買収令書も同所の右相手方宛に発送されたこと、ところが田中静は、以前は夫茂と同所に居住していたが、昭和二〇年六月一四日空襲で焼け出されて鳥取県に疎開し、本件計画・処分時には現在の原告の肩書住所(当時の呼称は芦屋市奥山一番地)に原告と同居していたため、前記買収令書は宛名人田中静に送達されず、買収対価も供託されたこと、それにもかかわらず、自創法九条一項但書に定める令書交付に代わる公告はされなかつたことが認められるところ、買収令書の交付又はこれに代わる公告は、買収処分の効力要件と解されるから、本件買収処分は無効といわなければならない。
そうだとすると、本件買収処分を前提とする本件売渡処分もまた、当時に重大かつ明白なかしがあつて無効といわなければならない。
二 本件買収処分の前記違法について当該公務員の故意過失の有無について判断すると、市農地委及び県知事において、本件土地の所有者が原告であつて田中静ではないこと及び同人の当時の住所を確知していたことを認めるに足る証拠はない。また、<証拠省略>によれば、本件土地のうち三八三番地の田を除く三筆の田の耕作者友田みつは、田中茂の妹であるが、原告が終戦前軍の秘密部隊におり、戦後同じ部隊にいた友人が戦犯容疑で逮捕されたことがある旨原告から聞き、原告も戦犯容疑で逮捕されることを恐れて身を隠しているものと考え、本件計画・処分に際し市農地委に対し、本件土地の所有者は田中静であり同人は鳥取県にいる旨告げたことが認められる。このような場合、市農地委としては友田みつに対して田中静を所有者と判断した根拠、登記簿上の所有名義人田中茂の生死と相続関係、更にはその本籍地等調査の手掛りになる諸点を質問し、これに基づき所要の調査をすれば、比較的容易に本件土地の所有者が原告であることが判明したであろうと推認できる。
しかしながら、前記認定事実からすれば、本件計画・処分当時、原告及び田中静が豊岡市内に居住しないことを市農地委が認識していたことも充分推測できる。また、<証拠省略>によれば、田中茂は、本件土地のうち三八三番地の田を植村源太夫に小作させ、その他の本件土地を友田みつに無償で小作させており、本件計画・処分当時右各土地は小作地であつたことが認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前記証拠に照らしたやすく措信できない。そして自創法三条一項一号による買収はいわゆる当然買収であつてその定める要件を具備する農地は、それが同法五条に規定する買収除外農地に該当しない限り、買収を免れず、また、当時自作農の急速な創設が自創法の目的とされ(同法一条、なお、自作農創設特別措置法施行令二一条によれば、同法三条の規定による買収は、昭和二三年一二月三一日までに完了しなければならないものとされていた。)、占領政策上もその実現が緊急事とされていたのである。してみると、市農地委において真実の所有者が田中静であるのか又は他の相続人であるのか、田中静の住所が神戸市灘区備後町二丁目四三番地から変更されたのか否かにつき更に進んで調査確定しなかつたとしても、田中茂又はその相続人とおぼしき近親者が豊岡市内に居住しないことを認識していたならば、結局本件土地を買収すべきものとして買収及び売渡手続を進め自作農創設に役立てることも、止むを得ない事情にあつたと解される。そうだとすると、市農地委及び県知事が友田みつについて更に調査を進めなかつたとしても、当該公務員に過失があるとはたやすく断定できない。
けれども、先に認定したとおり、本件買収処分の買収令書が田中静に送達されなかつたのにもかかわらず交付に代わる公告がされなかつた点については、当然、当該公務員に法律を尊守してなすべき公告手続を怠つた故意過失があるものと推認できる。
三 更に原告は、当該公務員は速やかに本件計画・処分を取消すべき義務に違反した不作為の違法がある旨主張するが、当然無効の処分又は効力要件を欠くことによる無効の処分には本来の意味における取消はあり得ないから、原告の右主張にいう取消が本来の意味におけるそれであるならば主張自体失当であるけれども、原告の主張は無効宣言の意味での取消をいうものと善解できないではないので、そのように解したうえで右主張について判断する。
本件買収処分及びこれに続く本件売渡処分にみられるかしが取消事由に止まりしたがつて右各処分が一応有効なのか、或いは重大かつ明白なかしであつて右各処分が当然無効であるかは、原告を始め関係当事者にとりたやすく判断し難いものであるから、当然無効の買収処分の対象農地をその小作人に売渡す処分がなされたときには、旧地主が右買収、売渡処分の当然無効に気付かぬ間に小作人の取得時効が完成して旧地主が右農地の所有権を喪失し或いは小作料請求権を時効消滅させてしまうこともありうる。このような法律関係の混乱を防ぐため、処分行政庁は、無効宣言の趣旨でもつて取消の措置をとることが適切であることはいうまでもない。しかし、右不作為が不適切のみならず違法であるというには、財産権に対する公共の福祉などの制約原理を考慮に入れながらもなお法の理念からして右不作為を違法と評価させる事情がなければならない。そうだとすると、前記のような場合においては、小作人の取得時効完成により旧地主が買収目的土地の所有権を喪失するとの重大な損害(前記の観点からして小作料請求権の消滅時効完成による損害など軽微な損害は度外視すべきである。)発生の蓋然性が高く危険な状態にあり、作為に出ることによつて右損害の発生を防止することが可能であり、旧地主において当該公務員に対し作為を期待し信頼しうる事情があるときに、その不作為は違法であると解するのを相当とする。
これを本件についてみると、本件買収・売渡処分の当然無効を宣言する意味での取消は、原告の注意を喚起する面での事実上の効果はさておき、友田みつの本件土地の時効取得という結果を回避する面ではなんら法的効果を有さず、両者は無関係の事柄であつて、右取消によつては右時効取得の防止は不可能であり、他方、原告において県知事はじめ当該公務員に対しその取消を期待し信頼しうる事情があるとも解されないから、右公務員が右取消をしなかつたとの不作為をもつて違法行為とすることはできないものといわなければならない。
四 このようにみてくるならば、本件においては当該公務員の故意過失ある違法行為は、本件買収・売渡処分のみであつてその後の不作為は除かれるところ、本訴提起は、右違法行為から二〇年経過後になされたから、仮に原告の国家賠償請求権が発生したとしても、民法七二四条後段の規定に依つて既に本訴提起前に消滅しているものと解さざるを得ない。
そうだとすると、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本件請求は全て失当として棄却すべきであるから、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西内辰樹 野田殷稔 法常格)
目録
第一
兵庫県豊岡市妙楽寺大谷三八三番
一、田 八畝六歩(八一三平方メートル)
右同所三九二番
一、田 二畝一三歩(二四一平方メートル)
右同所三九四番
一、田 一五歩(四九平方メートル)
第二
右同所三九三番
一、田 二畝二歩(二三四平方メートル)
以上
別紙一覧表<省略>